桶田敬太郎さん
まず、改めて
ブログのデザイン上、
一行で表示される文字数が少ない為
改行が多くなることをお詫びします。
尖った感性を見せたくて
妙な改行をしているわけではないこと
ご理解いただけると幸いです。
今日はとても個人的な思いを綴ります。
以前も書きましたが、
直接本人に伝えられる思いを
わざわざブログに載せることは
したくないと思っています。
その人との関係をアピールしている
みたいで嫌なのです。
ただ、もうその人に思いを伝えられず、
且つ、その人がどんな人だったのかを
少しでも知ってもらいたい場合には
ここに綴りたいと思っています。
元フォークダンスde成子坂の
桶田敬太郎さんがお亡くなりになりました。
48歳でした。
桶田さんには25年前から、
19歳の時からずっと可愛がっていただきました。
44年生きてきて、恩人は沢山いるのですが、
私の人生で一番恩を受けた方が桶田さんです。
ホリプロにお笑い芸人として入ってすぐに
声をかけていただき
遊びにつれて行っていただくようになりました。
多いときは週に6日。
平均週に3日は一緒に居させていただきました。
お金が無い私を気遣い、
いつも奢ってくださいました。
独特の美学と感性を持ち、
常に予想を裏切るアイデアを思いつく方でした。
脚本家としてお仕事させてもらえている
今の自分に、
人と違った発想をするヒント
を与えてくれた方でした。
憧れの先輩でした。
個性的でバイタリティに溢れカリスマ的で、
でもとても穏やかで優しい方でした。
25年の間、怒っているところを
一度も見たことがありません。
若い頃、いつも敬太郎さんのお宅には
原付で伺っていたのですが、
帰る時には、必ず
「事故せぬように」と言葉を掛けてくれました。
毎回です。
何百回とあったであろう別れしなに、必ず
「事故せぬように」と言ってくれました。
そういう方でした。
何らかの形で
一緒に仕事出来る日を夢見ていたのですが
もう叶いません。
こんなに若くして亡くなってしまうとは
思ってもいませんでした。
最後まで予想を裏切る方でした。
またお会いしたいです。